今から500年ほどの昔のことです。康正2年(1457年)の秋も深まるころ、今の石川県である加賀の国金沢の人儀賀市郎左衛門によって、この地に銀鉱が開発されました。それまでは静かだったこの地にもたくさんの鉱山夫が送り込まれ、日に日に賑わうようになっていきました。元和8年(1622年)には、幕府直轄の公儀の山として大いに栄え、多いときには戸数が49,000戸、人口220,000人にも達する勢いでした。町は活気に満ちて、見違えるようになりました。
しかし、その活気が長い間永続することは難しく、寛永の時代になると、鉱山は次第に衰え出していきました。そしてそれに伴って町の活気も少しずつ衰えていきました。そんなある日のこと、鉱山で働く坑夫の一人が、いつものように銀脈を探すべく精を出していました。坑夫は、地面を掘り下げていると、偶然にも川中に湧きいでる温泉を発見しました。これ幸いと、さっそく見つけた温泉を利用することにしました。入浴してみると、お湯は非常に気持がよく、疲れがすーっととれていきました。それから坑夫は川畔に浴槽を造り、毎日その温泉につかり疲れをいやしました。
その後は、この偶然発見されたいで湯を利用して湯治場に転換し、最上銀山の名で発展してきたということです。

温泉データ
泉質 含食塩硫化水素高温泉
温度 50〜80度
効能 筋肉痛、神経痛、やけど、慢性消化器病

BACK
Copyright East creative Inc.

フレームで開かなかった方はこちらから。
Webデザイン プロダクション|株式会社イーストクリエイティブ